究極のやすらぎ 人と住まいの健康 目指して!

パート(2)

例えば

いつもワクワク

「秘密基地」 

ほんものの居住学清家 清 著より

【住まいはベストを追求してもダメ】

 だれにでも自分のイメージする理想の家、夢の家というものがある。

‥‥‥しかし、いまは敷地を手に入れること自体が難しくなってきた時代。最初から完全無欠のものを望み、探し、追求することははじめからできない相談になってきた。

 だから我々の発想自体を変えていかなくてはならない。

「すべて何も皆、事のととのほりたるは悪しき事なり。(中略)内裏造らるるにも、必ず作りはてぬ所を残す事なり」『徒然草』

二十一世紀に生きのびるには夏は暑くて当然、ルームクーラーなどなしで、原発などなしで‥‥、の気構えが必要。

 住まいは作りはてぬ所を残すこと。

住宅に就いて志賀直哉より

 住宅建築に就いては、必要と考へても、あんまり細かく行きわたつた設計をしてゐるのも厭なものだ。日常生活にそれ程使はない生き届いたいい設備をしてゐることはやはり遣り過ぎで面白くない。必要なことだけを単純化して、美しいところを備へてゐれば、居心地よい家になる。昔の農家や民家で今でも感心するのはやはり長い経験で、ほんとに必要なものが何か美しい形で遺ってゐるので感心させられるのだと思ふ。

感覚的には気持ちよい

「狭小空間」

河井寛次郎記念館 二畳

 大変気持ちのいい部屋でした。

この様な空間を住まいの中に取込んだ設計をしてみたい。

 この部屋を経験してみることをお薦めします。(京都市東山区にあります。)

持続可能な社会を目指して

「エネルギー」

 限りある化石燃料のもとでの快適さの追求には限界がある。

未来のことも考えて、できることから行動したい。

 私たちの地球の持続可能性を保つためにも。

「快適さより、エネルギーが貴重。」

「快適さより、やすらぎを求める。」

ビニールクロスと

「自然素材」

使い方いろいろ「軒下」から続く)

 われわれは、この力のない、わびしい、果敢ない光線が、しんみり落ち着いて座敷の壁へ沁み込むように、わざと調子の弱い色の砂壁を塗る。土蔵とか、厨とか、廊下のようなところへ塗るには照りをつけるが、座敷の壁は殆ど砂壁で、めったに光らせない。もし光らせたら、その乏しい光線の、柔かい弱い味が消える。われ等は何処までも、見るからにおぼつかなげな外光が、黄昏色の壁の面に取り着いて辛くも余命を保っている、あの繊細な明るさを楽しむ。我等に取ってはこの壁の上の明るさ或はほのぐらさが何物の装飾にも優るのであり、しみじみと見飽きがしないのである。

(「陰翳礼讃」谷崎潤一郎 著より)

【畳】

 高温多湿の風土の中で、畳という床材は日本人が発明したヒット作です。

 畳の構造は、床(とこ)と呼ばれる心の部分(藁でできていて、その藁の繊維の中の空気層は断熱材の役目を果たし、冬に暖かく、同時にその植物性繊維の故の吸湿性が夏にも可)、畳表(藺草=いぐさ)、そして縁(へり)からできている。

 畳のいい香りというのは藺草の香り故。

夏にひんやり、冬に暖かいというのも、この構造の故である。

(足の裏の皮膚が完全に退化してしまった西欧文明人と違い、畳の生活様式を発想し、その触り心地を楽しむぐらい、日本人の足の裏は皮膚感覚が繊細にできているという話もあります。)

人と住まいの健康

「光と風と ころあいの間」

住まいとほどよくつきあう宮脇檀著より

 今ぼく達の住まいや生活の中で、アウトドアライフはどの程度生かされているだろうか。‥‥私達はアウトドアライフの楽しみを住まいと生活の中で失ってしまった。

‥‥‥けれどアルミサッシュを閉め切り、レースとドレープのカーテン引いてカーペット敷きつめた部屋の中で、クーラーつけ放しで、ほとんどない庭の、あまり育っていない茶褐色の芝生を見ているだけの今日でよいのか。

 どうしてあれまで愛していた、あれほど楽しんできたアウトドアライフを、住まいということになると忘れてしまったのだろうか。(日本人は古事記・万葉の時代から、野遊びは日本人の大好きな行事であり、今日でも全国で花見、芋煮会、紅葉狩り、お祭り、歩行者天国と連綿と生き延びている。)

敷地が狭いからか、日常生活にそんな余裕がなくなったからか。

─ そうではなさそうだ。何故か急に、日本人達はやる気がなくなってしまったみたいだ。自分達も、自分達の先祖も愛してきた自然の中での生活を、その中で得る人間として生きることの楽しみを、生きることの原点、オープンエアの中で風と太陽と緑を満喫しながら生きることを忘れてしまったようだ。

【自然と共に生きること】

 何気ない日常の中で自然の意味と大切さを味わうような生活こそが本当の生活であると思うし、それができないようでは人間として失格であると思う。

 僕たちには人間が人間らしく生きる為には、どんな型にせよ自然と別個に生きていくことができないことだけはわかっている。どうやってこの厳しい日常の中で自然と共に生き続ける─ つまり人間らしい生活が営めるかを素直な型で考え、実行する時代がやってきた。

 私達の生活、住居を中心とした生活の中で、自然をもう一度見直してみませんかということになる。

【風が通る家】

 風が肌をそっと吹き通っていくことが、どんなに人間には気持ちの良いことか、だから家というものは夏には何としても風が通りぬけるように設計せねばならない。

 住まいは夏をむねとすべし、といった兼好法師の言葉には、他にも色々な意味を含んでいるのは当然なのだが、その中にはやはりこの暑さの中で風の吹き通る中に身を置くことの快感を語っていたことに間違いはない。

 特に日本のように高温多湿の国では、風は湿気を奪って涼しさを与えてくれる度合いが強いのだ。

 だから家っていうのは風が通りぬけるように作らなくちゃいけないし、やればできるんだ!

ほんものの居住学清家 清 著より

【通風は家のいのち】

 完璧な密室となった現代住居でも、換気を怠ると空気はたちまち悪くなる。たとえば、夫婦の寝室は普通六畳ぐらいの広さだと思うが、この広さに二人の大人が寝ているような場合でも、二時間に三回ぐらいの割合で換気をしないと、心地良く眠れないといわれている。

 住まいの条件として何が大事ですか、という漠然とした相談には、一概に答えようがない。しかしおよそどのような住まいでも、日当たり・風通しというのが最も重視すべき要素である。

この二つの条件が満足していないようだと、家族のなかに病人がでたりするだけでなく、構造体としての家そのものも蝕まれることになるから御用心。

【「住まい」は家族とともに成長する】

 決して広くはないが部屋数をおさえ、室内空間を区切ることで移りゆく状況に対応できるフレックスなプランとし、それでも対応できなくなったら増築できるように、敷地はゆったり、建坪は小さめにする。家族の変化が許容できないものは、家族の人生にとって適さないということである。

団欒で

「囲炉裏を囲む」

 人類が万物の長となり得たのは、後足で立ち、両手(前足)で道具を作り、火を使うことを覚えたからといわれる。人間は、寒さや動物から身を守るために、また食物を調理するために火をつくり、囲んだ。

やすらぎの住居学清家 清 著より

【「火」があるからこそ、人間の住まい】

 人間の住まいを考えるとき、火をどう考えるかということがいちばん重要なポイントである。

 虫が光に集まってくるように、人間も火を求めて集まる習性をもっている。そして人間は、火に集まるという習性のゆえに、繁栄したようである。人間は暗黒をおそれ、太陽を求めてきた。太陽のない夜や、太陽の恩恵のうすい冬はなおさらのことで、そのような暗黒に、火を見つけ、人間は火に集まってきたのである。火があったからこそ、夜も、そして寒い冬も生きながらえることができたといえる。日本語で「ヒ」というのは、太陽という意味だけでなく、火という意味もあり、ヒトというのは太陽の後裔という意味だけでなく、地上の火を制御する者という意もあるようだ。

 その昔、囲炉裏は調理場であり、食堂であり、さらに居間でもあったように、住まいの中心であった。

 そもそも、鍋料理の成立は囲炉裏にあるらしいとのことである。

DNAの為せる業か

「白木信仰」

 やさしく揺れる木の葉から漏れる光は、白木にまだら模様を描き、飾り金具の鮮やかな色彩と相まって美しく映えている。

 信仰や生活用品にも。

私は大好きです

「杉」

使い方いろいろ

 「軒下」

【縁側】:伝統的でありながら現代風な雰囲気を醸し出し、快適な自然の通気と屋外との一体感をたっぷりと与えてくれる。

部屋と庭を開放的につなぐこの中間領域は、趣味や仕事の作業場であり、庭を眺めて酒を酌み交わしたり、うたた寝したり、と、大変使い勝手の良い場所である。

やすらぎを求めるためにも欲しい空間である。

上田 篤より

 縁は、まことに異なものであり、味なものがある。

 ここにいう縁とは、住まいの縁、すなわち縁側やぬれ縁などのことである。このような縁があることによって、日本の住宅は、その物理的なせまさにもかかわらず、心理的なせまさをあまり感じないですむ。座敷から、あかり障子と縁側のガラス障子をとおしてみる庭、それは、室内の落ちつきのなかに、四季の変化をたのしむ、日本のすまいのもっともすぐれた生活空間のひとつの場面だ。また、縁側の障子をあけはなてば、座敷と庭は、縁をはさんでひとつづきのものとなる。夏の午後など、縁側で涼風をうけながら、うたた寝していると、庭の木かげで昼寝をしているのと、おなじような気分になろう。つまり縁側は、もう

庭なのである。

 

 庭つづきの縁側は、気持ちよくありがたいものだろう。それがない日本の現代のすまいは、たしかに味気ない生活になりつつある。

「陰翳礼讃」谷崎潤一郎 著より

 われわれが住居を営むには、何よりも屋根という傘を拡げて大地に一廓の日かげを落し、その薄暗い陰翳の中に家造りをする。‥‥‥日本家の屋根の庇が長いのは、気候風土や、建築材料や、その他いろいろの関係があるのであろう。‥‥‥

日本人とて暗い部屋よりは明るい部屋を便利としたに違いないが、‥‥‥美と云うものは常に生活の実際から発達するもので、暗い部屋に住むことを余儀なくされたわれわれの先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰翳を利用するに至った。‥‥‥

われわれは、それでなくても太陽の光線の這入りにくい座敷の外側へ、土庇を出したり縁側を附けたりして一層日光を遠のける。そして室内へは、庭からの反射が障子を透してほの明るく忍び込むようにする。われわれの座敷の美の要素は、この間接の鈍い光線に外ならない。

ビニールクロスと「自然素材」に続く)

享受する

「風土」

「風土」和辻哲郎 著より

 我々は祖先以来の永い間の了解の堆積を我々のものとしているのである。家屋の様式は家を作る仕方の固定したものであると言われる。その仕方は風土とかかわりなしに成立するものではない。家は寒さを防ぐ道具であるとともに暑さを防ぐ道具でもある。寒暑のいずれがより多く防御を必要とするかによって右の仕方はまず規定されねばならぬ。さらにそれは暴風、洪水、地震、火事などにも堪え得なくてはならぬ。屋根の重みは地震に対して不利であっても暴風や洪水に対しては必要である。家屋はそれぞれの制約に適合しなくてはならない。さらに湿気は家屋の居住性を厳密に規定する。強度の湿気に対しては極度に通風をよくせねばならぬ。木材、紙、泥などは湿気を防ぐには最もよき建築材料である。が、それらは火事に対して何の防御をも持たない。これらのさまざまの制約がその軽重の関係において秩序づけられつつ、ついにある地方の家屋の様式が作り上げられてくるのである。そうすれば家を作る仕方の固定は、風土における人間の自己了解の表現にほかならぬであろう。

忘れたころにやってくる

「災害」

 先人の知恵と、もしもの備えが肝要!

マンションリフォームで

「茶室に住まう」

 普通のマンションで、亭主と客の動線を考えた茶室の設計を考えています。



3つの「和」設計ポイント

人と住まいの健康

   こころとからだの健康

       &

     住まいの健康

 

”光と風と ころあいの間”

をモットーに「和」の温もりを届けます。

清貧 シンプルな暮らし

無駄を省き、プランはメリハリをつけて

コンパクトに

 

緑の割合をできるだけ多く確保し、室内外ともに空気(風)の循環を促します。

安全・安心 丈夫な架構と空間

住まいの架構(構造体)はしっかり造る

 

 

生命・財産を守り、安全・安心な暮らしを目指します。



私の建築に関する想いを記載しております。